筋萎縮性側索硬化症(ALS)
2004年5月
東京都神経科学総合研究所 小柳清光
(本稿は同著者による神経研ホームページの内容を一部抜粋、改訂)
第1章 手足はどのようにして動くのか
筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic(筋肉が萎縮し)Lateral(脊髄側索が)Sclerosis(硬化する)、ALS)は、大脳皮質運動野の運動ニューロンと脊髄、脳幹の運動ニューロンが脱落することによって手足が動かなくなり、会話や飲み込みもしにくくなって、多くは4〜5年で呼吸筋が麻痺して、人工呼吸器を装着しなければ生きていけなくなる神経難病です。第2章、第3章でこの疾患の解説をしますが、第1章ではまず、手足や舌、顔面、眼球などがどんな仕組みで動くのか、呼吸しているのか、ということを取り上げます。
  1. ヒトの手足や舌、顔面などはどのようにして動くのか図1
    1. 手足を動かそう、話をしようという意志は、大脳の前頭葉などで決まり、運動野に伝わります。
    2. 運動野の運動ニューロン(これを第一次(上位)運動ニューロンといいます)は長い軸索を延ばして脳幹や脊髄の運動ニューロンに信号を送ります。
    3. 脳幹や脊髄の運動ニューロン(第二次(下位)運動ニューロン)は軸索を延ばして舌や顔面、手足の筋肉へ信号を送ります。
    4. 眼球運動、呼吸の中枢は脳幹にあり、これら中枢からの信号が脳幹の動眼神経核、外転神経核、また頚髄の横隔神経核、胸髄の前角細胞など第二次運動ニューロンに送られます。ここから外眼筋や横隔膜、肋間筋などに軸索が伸びています。
    5. 軸索末端のシナプスから信号を受けた筋肉が収縮することによって手足、眼球が動き、舌や顔面筋、呼吸筋が収縮して飲み込みや会話、呼吸ができるのです。

  2. 手足や舌、顔面筋などが動かなくなる(麻痺する)メカニズム
    手足には、上記したI. の、どの部位に障害が起きても麻痺が生じる可能性があります。舌や顔面筋などの麻痺は下記1,2,3,5,6で生じます。呼吸筋麻痺は下記3,4,5,6,外眼筋の麻痺は3,5,6で生じます。

    1. 大脳の運動野の運動ニューロン、
    2. 運動野運動ニューロンの軸索が脳幹、脊髄へ向かう通路、
    3. 脳幹
    4. 脊髄
    5. 末梢神経(脳幹や脊髄の運動ニューロンの軸索)
    6. 筋肉
    これらの障害の原因は:
    1. は脳の外傷や脳出血、脳梗塞、脳腫瘍、筋萎縮性側索硬化症など。
    2. の通路の障害は、大脳白質の脳梗塞、脳出血、多発性硬化症など。
    3. 脳幹の障害は、梗塞、出血、脳幹腫瘍、髄膜腫、神経鞘腫、多発性硬化症、筋萎縮性側索硬化症など。
    4. 脊髄の障害では、外傷による脊髄損傷(脊損)、頸椎症、椎間板ヘルニア、脊髄腫瘍、脊髄空洞症、多発性硬化症、筋萎縮性側索硬化症など。
    5. 末梢神経の障害としては、ギラン−バレー症候群、デジェリン−ソッタ病、レフサム病、糖尿病、膠原病など。
    6. 筋肉の障害では、重症筋無力症、多発性筋炎、進行性筋ジストロフィーなど、があります。

  3. 手足の麻痺(筋力の低下)の種類を分けると
    1. 両側の上下肢全体に生じる場合(四肢麻痺)
    2. 一側の上下肢に生じる場合(片麻痺)
    3. 上肢に生じる場合
    4. 下肢に生じる場合
    これらの原因は:
    1. 四肢麻痺:原因は数多い(上記 II参照)。そのひとつが筋萎縮性側索硬化症です。
    2. 片麻痺: 一側の運動野の障害、またはその軸索の通路である大脳白質や脳幹の一側性の障害によって生じることが多い。
    3. 上肢だけの麻痺は、変形性頸椎症、頸椎ヘルニア、筋萎縮性側索硬化症などで起こることがあります。
    4. 下肢だけの麻痺は、胸椎〜腰椎レベルの脊損やヘルニア、脊髄腫瘍、筋萎縮性側索硬化症などで起こることがあります。両下肢の麻痺を対麻痺といい、脊損など脊髄の局所的な強い障害によって起こります。
第2章 症状と神経病理学的所見
本章では筋萎縮性側索硬化症ALS)という病気について、認められる症状、診断のための検査法と神経系の病理学的所見、現在行われている治療法について取り上げます。
  1. ALSとは
    1. ALSは大脳の第一次(上位)運動ニューロンと脳幹、脊髄の第二次(下位)運動ニューロンが主として障害される疾患です。
    2. 第1章で述べたように、運動ニューロンが障害されて筋力低下を示す疾患は数多くありますが、下記する臨床・病理学的特徴を持つ病気がALSです。
    3. 日本全国のALSの患者さんの数はおよそ6600名と推定(10万人あたり5-6人)されています。そのうち人工呼吸器装着あるいはそれに近い重度の看護を必要とする患者さんは2000名ほどではないかと言われています。

  2. ALSで認められる症状
    1. 多くは中年以後に発症し、2-3年の経過で四肢や顔面、舌などの筋肉の萎縮と筋力低下、嚥下障害が進行します。女性より男性の発症率がやや高いと報告されています。患者さんによっては外傷がきっかけであったとか、風邪をひくと進行が早まった、と言うような、何らかの「契機」が報告がされています。
    2. 発症時は左右差が見られ、一側の上肢に発症することが多いのですが、下肢から発症することもあり、また舌から発症して会話や飲み込みがしにくいことが最初の症状として 気付かれることもあります。しかし急速に両側性となり発症後数年で四肢麻痺となることが多く、やがて呼吸筋麻痺を来します。
    3. 一方ALSが進行しても眼球運動や知覚、排尿排便 は保たれることが多いと言われ、ALSでは辱創が脳卒中などで寝たきりの患者さんに比べてできにくい、と言われています。
    4. 足底で調べるバビンスキー反射が陽性となり、四肢の筋肉がピクピクする線維束性攣縮が見られることがあります。
    5. 膝蓋腱反射などの深部反射は、発症早期には亢進することが多いと言われています。
    6. 以上の臨床症状は、下記するALSの神経病理学的所見と密接に関連しています。すなわち、ALSでは、運動ニューロンが変性し脱落するのですが、外眼筋を支配する脳幹の動眼神経や外転神経の神経細胞、また外肛門括約筋を支配するといわれる仙髄のオヌフ核(下記:V)の神経細胞はALSの末期まで保たれることが多く、脊髄の後角(下記:V)に位置して知覚を脳に運ぶ神経細胞とその軸索である後索(下記:V)も保たれ易いのです。バビンスキー反射の出現や深部反射の亢進は、第一次運動ニューロンの障害で生じると言われています。またALSの患者さんの皮膚と脳の動脈にはヒアルロン酸が多く、これと辱創が出来にくい、脳卒中が起きにくいことの関連を論じた報告もあります。

  3. 確定診断のための検査法
    1. 筋電図:持続時間の長い、振幅の大きな活動電位が増加します。
    2. 運動神経伝導速度:ALSでは保たれることが多く、一方末梢神経障害では早期から低下します。
    3. MRI検査のT2またはプロトン強調画像で大脳の内包後脚(大脳運動野神経細胞の軸索の通路。下記:V)に高信号が見られることがあります。
    4. 髄液検査:ALSでは多くの症例で正常ですが、症状が進むと蛋白量が上昇することがあるといわれ、一方末梢神経障害では多くの症例で蛋白が上昇します。
    5. 運動麻痺を来すその他の疾患(第1章)が検査等で否定できる場合。

  4. ALSの分類と家族性ALSについて図2
    1. ALSのほぼ90%が遺伝性の無い「孤発性」のALSです。この中で、
      1. ほぼ第一次、第二次運動ニューロンだけが脱落して見られる症例を「古典型」ALSと呼びます。これは、100年以上前にALSを世界で最初に報告したと言われるフランスのシャルコー先生の論文の所見に類似していることからもそう呼ばれています。
      2. 生前の症状では主として運動ニューロンの障害が考えられたにもかかわらず、数年間寝たきりのあと、あるいは何年か人工呼吸器をお使いのあと亡くなられた方の神経病理学的所見で、運動ニューロン以外に、脊髄の知覚系の神経細胞や脳幹の神経細胞脱落が見られる症例があり、このような症例を「多系統型」と呼ぶことがあります。生前の運動麻痺が強いために、知覚障害などが「マスク」されてしまったのではないか、と考えられ、このような患者さんでは眼球運動を含め、全ての随意運動が麻痺することがあります。
      3. ALSの患者さんの何割かは痴呆を伴うことが報告されています。このような患者さんでは、古典型ALSの病変に加えて、大脳の側頭葉や脳幹の黒質で神経細胞脱落が見られます(側頭葉病変を伴うALS)。
    2. ALSのほぼ10%の症例が遺伝性を示す「家族性ALS」です。遺伝子異常が分かっているのは、その中の2割程度で、SOD(スーパーオキサイドジスムターゼ)1 という活性酸素を無毒化するという酵素の遺伝子と、ALS2/ALSINという、いまだ機能がよく分かっていない遺伝子の2種類です。家族性ALSは比較的進行が遅く、脊髄の後索を障害することがあって、脊髄小脳変性症に類似点が見られることがあります。

  5. 古典型ALSの神経病理学的所見
    1. 大脳運動野の皮質ではニューロンが脱落することによって皮質の厚さが薄くなり、これらのニューロンの軸索も脱落して、その通り道(錐体路)である内包後脚(図3)が変性します。
    2. 大脳運動野のニューロンの脱落によるその軸索の減少、すなわち錐体路の変性は、脊髄では側索と前索(図4)で認められます。
    3. 脊髄では、灰白質、特に前角が強く萎縮し、中間帯も萎縮を示します(図4図5)。
    4. 脊髄の神経細胞は、ALS発症当初には、運動ニューロンである前角細胞だけが障害されますが、病気が進むと、運動ニューロンではない、中間帯の神経細胞も障害されます(図5)。
    5. 脊髄前角にありながら、仙髄のオヌフ核は比較的保たれます(図6)。
    6. ALSの発症初期の前角細胞では、蛋白質を作っているニッスル物質が細かく破断されて白っぽく見えるようになります(クロマトリーシス)。病気が進むと前角細胞は強く萎縮し、その後脱落して行きます(図7)。
    7. 前角細胞は、その病める経過中に幾つかのALS特徴的な所見を示します。「ブニナ小体」(図8)はほぼALSにしか見られない際立った所見ですが、それがどんな物質から構成されているのか、未だに完全には分かっていません。またユビキチンが付着凝集した封入体(ユビキチン化封入体;図9)が見られますが、ユビキチンが「何」に付着したのか、その「本体」がまだ分かりません。細胞変性の初期には、前角細胞の軸索のなかにリン酸化ニューロフィラメントが蓄積して「スフェロイド」という腫大を呈します(図10)。これは軸索の中の物質の流れ(軸索流)が障害された結果であるとも言われています。
    8. このような所見を呈して前角細胞は脱落して行きます。これらの所見が生じるメカニズムの解明は、ALSの克服に直結しています(本稿第3話)。
    9. 前角細胞の軸索は、細胞からの出口では1本ですが、筋肉に入ると細かく何本かに別れて筋細胞(筋線維)にシナプス結合すると言われています。ALSの筋肉は、前角細胞が脱落するとこれら軸索が分布した筋線維のかたまり(群)ごとに萎縮していきます(群性/神経原性萎縮)(図11)。

  6. 現在行われている治療
    1. これまでビタミンE、B12、ニコチン酸+ATP、蛋白同化ホルモン、インシュリン様成長因子など、様々な薬剤が治療薬として試みられました。現在のところリルゾール(促進性神経伝達物質グルタメートの阻害剤)がALSの進行を遅らせる薬剤として、唯一厚生労働省からALS適応が認可されています。患者さんによっては、あるいは病気のある時期には有効といわれた薬剤でも、残念ながらALSを根本的に治療できる方法は見出されていません。
第3章 ALSの克服を目指して行われている国内外の研究
  1. 孤発性ALSの原因の追究
    孤発性ALSの原因は今だに不明ですが、ALSの最初の報告以来100年以上を経た現在も懸命の努力が続けられています。現在のところ孤発性ALSは、内因(複数の疾患感受性遺伝子の存在:多因子)と外因(摂取物その他)との絡み合いで発症するのではないか、と考えられています。
    1. 疾患感受性遺伝子の追究
      新潟大学脳研究所(福島ら「生命の彩」2004)や「文部科学省リーディングプロジェクト」など、日本で精力的に続けられています。
    2. 外因の追究
      ウィルス説やグルタミン酸過剰説などが提唱されましたが、これまで確証は得られていません。ただ、世界に3ヵ所ALSの多発地域が報告されており、原因究明について示唆を与えています。それらは紀伊半島、グアム島、ニューギニアで、ほぼ東経140度の線に位置し、土壌が似ていて、不思議なことに3カ所ともパーキンソン痴呆症という病気の多発も報告されています。
       この中で、グアム島では1940-50年代にはALSの発症率は世界平均のおよそ50倍で、当時住民の何分の一かがALSで亡くなるほどの頻度であったと言うことです。しかしその後ALSの発症率は急激に減少し、現在では世界平均と変わらないほどまでになったということです。これに関連して私たちは、グアム島のALSは古典型ALSであり、パーキンソン痴呆症とは基本的に異なる病的プロセスによって発症する疾患である、と報告しました(Oyanagiら1994、Wadaら1999「Acta Neuropathol」)。
       これらのことは重要なことを示唆します。すなわち僅か数十年で激減したというグアム島のALSは「単一遺伝子による遺伝性疾患」では「あり得ない」ということ、つまり「内因」よりむしろ「外因」が原因でALSが多発したことが考えられます。この原因については、グアム島でかつて常食にされたというある種のソテツの実に含まれるという興奮性神経毒と、またグアム島の中でも発症頻度の高い村落では低カルシウム、低マグネシウム、高アルミニウムの飲み水を飲んでいたと言われ、摂取ミネラルの異常が原因ではないか、との二つの仮説が提唱されています。
       私たちの神経研における最近の研究で、二世代に亘る長期マグネシウム欠乏がラットの黒質神経細胞の脱落を起こすことが見出されましたが、脊髄運動ニューロンの脱落は見られず、カルシウム欠乏ラットでは明らかな変化は認められませんでした。つまりこのことは、長期マグネシウム欠乏はパーキンソン病/パーキンンソン痴呆症の原因にはなり得ても、低マグネシウムも、低カルシウムもALSの原因では無さそうであることを示唆しています。
       一方グアム島で指摘されたソテツの実に含まれる興奮性神経毒については、近年では、ソテツの実を食べたコウモリの体内で濃縮され、それが人に摂取されることが原因である、との報告もみられます(Banackら「Neurology」2003)。いずれにしてもグアム島におけるALSの原因が分かれば、世界中の孤発性ALSの原因の解明に近づくのではないか、と考えられます。
       近年では1991年に起こった「湾岸戦争」に従軍したアメリカ軍兵士に、退役後比較的若年であるにもかかわらずALSが多発していることが報告され、孤発性ALSの原因はやはり主として外因であり、その原因としては戦争時に使用された有機リン含有殺虫剤、水銀含有ワクチン、劣化ウラン曝露などではないか、との推察が成されています(Hornerら、Haley「Neurology」2003)。
    3. 誘因
      年齢:20歳代以降60歳代までは年齢がかさむほど発症率が増加し、また高齢で発症するほど予後が不良であると言われています(吉田ら「神経研究の進歩」1996)。 性別:男性が女性より発症率が高いと言われ(第2章)、このことから性染色体上の何らかの遺伝子の異常や神経細胞内のホルモン受容体の異常などが推測されています。

  2. ALSの発症メカニズムの追究
    ALSがどのようにして発症するのか、という問題は、
    a.何故運動ニューロンが選択的に、どのようにして傷害され脱落していくのか、
    b.運動ニューロンでも、障害されやすいニューロンと、されにくいニューロンとが存在するのは何故か、という事柄そのものです。
    1. ALSで障害されやすいニューロンとされにくいニューロン
      第1章、第2章で触れたように、ALSは運動ニューロンが主として障害される疾患であり、その他のニューロンは比較的障害を免れます。また運動ニューロンでも、脳幹で眼球運動を司る動眼神経や外転神経、また仙髄のオヌフ核などが比較的障害されにくい運動ニューロンです。なぜ運動ニューロンが障害されやすく、感覚ニューロンや自律神経系のニューロンが障害されにくいのか、運動ニューロンのなかでも動眼神経細胞などが障害されにくいのか、と言う点に関しては、ALSで障害されにくいニューロンがカルシウム結合蛋白を多く含む神経細胞であり、神経細胞の過剰な興奮によって細胞内に流入したカルシウムの毒性を弱めることで生存が可能となるのではないか、と言う重大な指摘がなされています(Alexianuら「Ann Neurol」1994)。この研究は、治療法として、すべての運動ニューロンでカルシウム結合蛋白を増やすことができればALSの進行を止めることが出来るのではないか、という考えを抱かせます。また細胞内にカルシウムを流入させる興奮性(促進性)神経伝達物質であるグルタメート(グルタミン酸)がALSでどのような変化をしているのか、という研究とも関連しています。
      近年、東京大学神経内科の郭らは、脊髄運動ニューロンへのカルシウムの流入に関連するグルタメート受容体(GluR2)に注目して、ALSでは、GluR2遺伝子からmRNAへの転写後の編集率が低下しているためにGluR2に機能異常がおこり、多量のカルシウムが脊髄運動ニューロンに流入して細胞死がおこり運動麻痺を生じるのではないか、と報告しました(「Nature 」2004)。
      これらの所見は、現在唯一厚生労働省から適応が認められているリルゾール(グルタメート阻害剤)の効果とも関連した事項と思われます。
    2. ブニナ小体
      ブニナ小体はALSにほぼ選択的に認められ、かつALSで障害される運動ニューロンで認められることが多いことから、ALSの発症と細胞死とに密接に関連した所見と考えられます(第2章、図8)。ブニナ小体がシスタチンCという、システイン蛋白分解酵素阻害剤の一種に対する免疫染色で陽性となることがOkamotoらにより1993年「Neurosci Lett」に報告されました。しかし今だにブニナ小体の本質が解明されたとは言い難く、ブニナ小体が細胞の変性に増悪的に係わっているのか、逆に保護的に働いているのかすら分かっていません(図8)。これらが分かればALSの解明に近づけることは論を待たないと思われます。
    3. 運動ニューロン内に蓄積した異常蛋白
      1. 異常蛋白の蓄積:作られ方と、壊され方
        ALS運動ニューロンの中には、ユビキチン化された(ユビキチンが付着した)蛋白が蓄積していることを第2章でお示ししました(図9)。この所見は1988年にLeighらが初めて「Neurosci Lett」に報告した所見です。ユビキチンは、蛋白が細胞内の小胞体で作られる際、キチンとした「三次元構造の折り畳み」がなされなかった不良品蛋白を処理するための機構である、といわれており、ユビキチン化蛋白の蓄積は小胞体の蛋白合成系が上手く働いていないことを示唆します。また、ユビキチン化蛋白が溜まることは、これを細胞内で壊して処理するといわれるプロテアソームの機能が落ちている可能性も示唆しています。
      2. 三次元構造の変化で毒性を持つ蛋白
        蛋白質についての最近の研究から、蛋白分子の折り畳みなどが変わって三次元構造の変化が生じると、一転して毒性を持つようになる蛋白質が知られるようになってきました。ALS運動ニューロンに蓄積した、ユビキチンが付着した蛋白の「本体」がまだ分かっていません。これが運動ニューロンを傷めている大本の可能性が疑われ、これを生化学的に抽出して「本体」を突き詰めよう、という研究が国内外で行われつつあります。
    4. 運動ニューロンの小胞体の変化
      ALSの前角細胞などの運動ニューロンでは、その初期変化としてクロマトリーシスが見られることを第2話で述べました。これは井上らによって1979年「神経内科」に報告された事項です。クロマトリーシスはニッスル物質、つまり粗面小胞体(小胞体の膜にリボゾームが付着したもの)の崩壊・破断を意味します(図7)。しかし最近の私たちの電子顕微鏡を用いた研究で、細胞変性末期の萎縮した細胞でも粗面小胞体が変化していること、それも初期変化とは異なり、小胞体の袋構造が不規則に拡大し、膜上のリボゾームの数が減少していることが分かりました。このことは、変性末期では小胞体内に異常な蛋白が溜まっていること、すなわち小胞体ストレスが存在する可能性と、リボゾームでの蛋白合成が不十分となっている可能性を示しています。
    5. 運動ニューロンのゴルジ体の変化
      小胞体で正常な折り畳みを受けた蛋白が、糖などの修飾を受ける(糖分子が付着する)場所がゴルジ体です。ALSの運動ニューロンではゴルジ体が細かく断片化していることをGonatasらが「Proc Natl Acad Sci USA」に1990年初めて報告しました。
    6. 運動ニューロンのリボゾームの減少
      ALS運動ニューロンでは、その変性初期にはクロマトリーシス、つまり粗面小胞体の破断崩壊とリボゾームの減少が見られ(第2章、図7)、また末期には小胞体膜上のリボゾームが減少していることを上記しました。リボゾームは細胞質内RNAであり、ALSの運動ニューロンでリボゾームRNAが減少していることは、遠く1974年、Mannらの「J Neurol Neurosurg Psychatr」に遡ることが出来ます。ALS運動ニューロンでリボゾームRNAが減少するメカニズムに迫るため、最近の私たちの研究で、リボゾームRNAを作り出すための、リボゾームRNA遺伝子からの「転写」の「活性」が減少していることを、AgNORという染色所見の解析で見出しました。これは蛋白合成系の最上流に位置する出来事で、ALS運動ニューロンにおけるリボゾームRNA遺伝子の転写活性の減少は、上記した様々な蛋白合成系の変化のもっとも早期の変化を見ている可能性があります。
    7. ALS運動ニューロンの蛋白合成系の一連の変化
      つまりALS脊髄前角細胞の蛋白合成系の変化として、上流から下流まで、リボゾームRNA遺伝子の転写活性の減少 - リボゾームの減少 - 粗面小胞体の減少・変性 - ゴルジ体の断片化 という、多くの段階で変性が生じていることが分かりました。しかしこれらが玉突き様の一連の変性であるのか、個々別々の変性がそれぞれ生じたのか、どこに最初の病変が始まるのかもはっきりしません。またこれらが酸化ストレスと関係があるのか、粗面小胞体の形態変化が小胞体ストレスの結果なのか、また細胞質に生じるブニナ小体、ユビキチン化封入体との関連、と言う点も今後の課題です。今後これらの所見を更に追究して、ALSの治療法開発に結びつく糸口を見いだしたい、と考えています(図12)。

  3. 家族性ALS の研究から
    1. SOD(スーパーオキサイド-ジスムターゼ)-1
      1. 頻度
        家族性ALSはALSの10%程度であり、このおよそ20%がSOD-1という、細胞内のミトコンドリアで生じた活性酸素を無毒化する酵素の遺伝子異常であることが知られており、1993年Rosenらが「Nature」に最初の報告をしています。このことから、家族性ALSのみならず、孤発性ALSでも、活性酸素を十分に無毒化出来ないことによる「酸化ストレス」が細胞を障害しているのではないか、との考えから発した様々なアプローチがなされました。 その一方で、この遺伝子異常が見られる患者さんの運動ニューロンには、異常のある遺伝子から生じた「変異(異常な)SOD-1蛋白」が溜まることが報告されています。この変異SOD-1は構造が正常SOD-1と異なっており、何らかの毒性を有するのではないか(上記II.3.b)、との観点に立つ研究も続けられています。
      2. SOD-1変異動物モデル
        ヒトの病気を研究するに当たって動物実験が欠かせないことは言うまでもありません。近年までALSの病変を正確に再現する動物モデルはありませんでした。家族性ALSの原因遺伝子としてSOD-1が同定されましたので、この遺伝子をマウスでノックアウトしたり、あるいはヒトの変異SOD-1遺伝子をマウスに導入したり、という、遺伝子工学を駆使したモデル作りが世界中で試みられています。
      3. ALS2/ALSIN
        チュニジアの家系で見出された遺伝子異常です(Hadanoら、Yangら「Nature Genet」2001)。10歳未満の若年発症で極めて緩徐な進行を呈し、痙性麻痺などの第一次運動ニューロンの障害が顕著である、と言われています。この遺伝子から生じる蛋白は、ALS2では遺伝子のほぼ全部、あるいは大部分が欠損していることよって発病していることが報告されました。現在この蛋白の機能と、その欠損がなぜ運動ニューロンの変性を引き起こすのか明らかにするための研究が世界各地で開始されています。


  4. 新規治療法の開発
    第2章で触れましたように、ALSの治療法としてこれまで様々な薬剤が試みられてきましたが、現在日本で効果が認められているのは興奮性神経伝達物質グルタメートの阻害剤リルゾールのみで、世界中でALSに対する新規の治療法の開発/適応の検索が行われています。
    また実験的に脳幹脊髄の運動ニューロンを障害した際、種々の神経栄養因子の投与が傷害運動ニューロンの生存に有効であることが分かってきました。神経研のWatabeらは、ALSの治療を最終目的として、ラットに運動ニューロン障害を起こし、それに対して最も有効な治療法を見出すべく、グリア細胞由来神経栄養因子(GDNF)その他の神経栄養因子の組み換えアデノウイルスを作成してラットに投与し、はっきりした治療効果を確認しています。また同じラットの運動ニューロン障害に対して、ある種の脳代謝改善薬(低分子薬剤)の経口投与も有効であることを見い出し、臨床応用への道を検討しています(「NeuroReport」 2003,「ALS」2003)。