第1章 中枢神経系の発生
- 正常の発生とは
中枢神経系とは脳と脊髄のことです。ヒトの脳は高い知能や器用な運動など、きわめて精密な働きをする器官ですから、形もそれに応じて複雑にできています。中枢神経系の形づくりは妊娠の前半に、その大まかな部分(肉眼的な形態形成)が行われます。
- 神経管形成(受胎後3〜5週)
妊娠のごく初期、胎児組織は内胚葉(主に粘膜を作る)、中胚葉(主に結合組織を作る)、外胚葉(主に皮膚・神経を作る)に分化します。中枢神経系の形成は外胚葉の正中(体の左右の中央)付近が神経板となるところから始まります。つぎに神経板の正中線上に神経溝ができ、神経溝の両側のヒダがまるでジッパーを閉じるようにくっつくことにより神経管ができ、ついで皮膚外胚葉と神経管が分離します(図1)。
- 脳胞形成(受胎後5〜10週)
神経管の頭側は脳に、尾側は脊髄に分化します。とくに脳の成長は活発で、脳胞とよばれる複数の膨らみができます。その最も頭側にある前脳胞は2つに分離して、左右の大脳半球になります(図2)。
- 神経細胞移動と脳溝・脳回形成(受胎後2〜5月)
大脳半球は初めは小さく薄く、その表面は平滑です。しかし妊娠2か月以降、脳胞の深部にある脳室層で細胞が盛んに分裂・増殖し、生まれた神経細胞が脳表面に向かって垂直に移動するにしたがって、大脳は大きく厚くなり、層構造ができます(図3)。これにともない大脳の表面積も増え、多数の凹凸(脳溝・脳回)が生じ、脳の大まかな形ができてます(図4)。
- 発生異常による疾患とは
胎児期に何らかの異常があって、中枢神経系の形がうまくできないと、多くの場合は機能にも異常が生じます。
- よくある症状
大脳の発生異常では、知能障害(精神遅滞)や運動障害(広い意味での脳性麻痺)がしばしば見られます。てんかん発作もしばしば生じます。
間脳、脳幹(中脳、橋、延髄)の発生異常では内分泌、摂食・体温調節、眼球運動、聴覚・平衡感覚、睡眠・覚醒、呼吸・循環、嚥下などの機能が低下しやすく、重度の場合は生命を脅かします。
脊髄の発生異常では四肢(頸髄の場合)または両下肢(腰髄の場合)の運動麻痺、感覚低下と膀胱直腸障害(排尿・排便の異常)を生じます。
- 分類
発生異常による疾患の多くは、発生のどの段階で異常を生じたかにより分類されます。
第2章以降では、神経管形成(図1)の異常を代表する二分脊椎(脊髄髄膜瘤)、脳胞形成(図2)の異常を代表する全前脳胞症、神経細胞移動(図3)ないし脳溝・脳回形成(図4)の異常を代表する滑脳症(ミラー・ディーカー症候群とX連鎖滑脳症)と多小脳回(福山型先天性筋ジストロフィーと先天性サイトメガロウイルス感染症)について解説します。
第2章 二分脊椎(脊髄髄膜瘤)
- 病気のかたち
神経管形成は受胎後2〜5週、くびに始まり頭と尾の両方向に向かって進行します(図1)。この過程が障害されて生じた一群の発生異常を神経管奇形といいます。神経管奇形は神経管の頭側端と尾側端の近くに生じやすく、前者では無脳症や二分頭蓋、後者では二分脊椎となります。
二分脊椎は皮膚外胚葉と神経管の分離が不十分なために生じ、脊髄の組織やその表面の髄膜が背側正中部皮膚表面に露出ないし突出した概観を呈します。露出・突出している神経組織の内容・形態により髄膜瘤、脊髄髄膜瘤(図5)、脊髄破裂に分類されます。
- 症状
脊髄髄膜瘤は脊髄の下部(腰髄・仙髄)に生じやすく、この場合は両下肢の運動麻痺と感覚低下、さらに膀胱直腸障害を生じます。
なお脊髄髄膜瘤の多くは水頭症(脳脊髄液がたまって脳室が拡大する)やキアリ2型奇形(脳幹・小脳が下方偏位して脊椎管内にはまり込む)を合併するため、大脳・脳幹・小脳の機能異常による症状も呈します。
- 原因
二分脊椎の発症には複数の遺伝因子が関係し(多因子遺伝)、さらに環境因子も関与します。最近、遺伝因子の中では葉酸の代謝酵素や輸送分子などの遺伝子多型、環境因子の中では母体の葉酸摂取不足が注目されています。
- 予防
二分脊椎の発症頻度が高かった諸外国では、妊娠の可能性のある女性の葉酸摂取量を増やす目的で、主食に葉酸を添加するなどの手段を講じました。これにより、これらの国では二分脊椎の発症が数十パーセント減少しました。
日本ではこのような予防法は行われていませんが、前に二分脊椎児を生んだ女性が次子を希望する際には、妊娠前から予め葉酸を内服しておくことが勧められます。
神経管奇形の出生前診断にはスクリーニング用検査(母体血アルファ胎児蛋白、超音波など)と確定診断用検査(羊水検査、超音波、MRIなど)があります。
- 治療
脊髄髄膜瘤では出生後直ちにその表面を皮膚で被う手術を行います。合併する水頭症、脊髄稽留症候群(脳神経外科)、排尿障害(泌尿器科、小児外科)、下肢の変形・運動麻痺(整形外科)、知的障害、てんかん、呼吸障害(小児科)など多彩な症状に対し、多くの診療科の医師・コメディカルのチームによる治療やリハビリが行われます。
第3章 全前脳胞症
- 病気のかたち
前脳胞から左右の大脳半球が分離する過程(図2)が障害されると大脳が左右に分離せず、内部の脳室(側脳室)もひとつしかない状態のまま、発生がとまります。これが全前脳胞症です(図6)。
重症例では前脳胞の腹側正中部に由来する終脳・間脳の低形成が著しく、その表面は異常組織で覆われています。脳下垂体の低形成(小さい)ないし無形成(ない)をしばしばともないます。
- 症状
大脳の機能不全のため知的障害、運動障害、てんかんを呈します。間脳・脳下垂体機能不全による内分泌・ホメオスタシス障害もしばしば見られ、重症例は出生後間もなく死亡します。
全前脳胞症の重症例では、しばしば顔面正中部の低形成があります(図7)。
- 原因
前脳胞の腹側(前)には脊索(図1)の頭側端である脊索前中胚葉があり、顔面の正中部の形成に主要な役割を演ずるとともに、前脳胞から大脳への分化にも強い影響を与えます(腹側誘導)。脊索前中胚葉が成長しなかったか破壊された、脊索前中胚葉から前脳胞への誘導シグナルがうまく伝わらなかった、他の分化シグナルとのバランスが乱れたなどの理由により、全前脳胞症が生じます。
腹側誘導にはソニックヘッジホッグ(Shh)という信号伝達分子が主要な役割を演じます。脊索前中胚葉などから分泌されたShh分子はコレステロール修飾を受けたのち脳細胞の膜にある受容体パッチド(Ptc)に結合し、細胞内の情報伝達分子を動かして細胞の増殖や蛋白合成を刺激します。このシステムをShh情報伝達系といいます(図8)。
全前脳胞症の原因として遺伝因子と環境因子の両者があります。ヒト全前脳胞症の遺伝的な原因には染色体異常と遺伝子変異があります。原因遺伝子としてShh遺伝子、Ptc遺伝子を含む10個以上が同定されています。さらに動物の全前脳胞症の原因として、数種の毒物が知られています。これらの遺伝子変異・毒物の多くはShhの上流または下流に直接影響を与え、Shh信号伝達系の機能を低下させることにより全前脳胞症をひきおこします(図9)。
- 予防
胎児の超音波・MRI検査による出生前診断があります。
- 治療
個々の症状に即した対症療法が行われます。
第4章 滑脳症 ─ミラー・ディーカー症候群とX連鎖滑脳症─
- 病気のかたち
大脳皮質の神経細胞の垂直方向の移動では、脳室層で生じた神経細胞が中間層を通って皮質板に至り停止、定着します(図3)。正常発生では中間層は白質(神経細胞体がなく、軸索突起のみ)に、皮質板は灰白質(神経細胞体あり)に分化します。皮質全体の厚さは数センチに及びますが、灰白質の厚さはそのうち数ミリに過ぎません。神経細胞の移動にともない、大脳表面には脳溝・脳回が形成されます(図4)。
滑脳症では移動中の神経細胞が皮質板に達せず、中間層で停止してしまいます。神経細胞体が留まるために中間層は灰白質と化し、結果的に大脳皮質の厚さのほとんどを灰白質が占めることとなります(厚脳回)(図10)。脳溝・脳回が形成されないため、大脳の表面は平滑なままです(滑脳症・無脳回)(図10)。
- 症状
大脳の機能不全のため知的障害、運動障害、てんかんを呈します。頭は小さく、ミラー・ディーカー症候群では特徴的な顔貌をしています。
- 原因
LIS1遺伝子変異による場合と、ダブルコーチン遺伝子変異による場合とがあります。両遺伝子の蛋白産物は、神経細胞の中にある微小管という構造の重合・脱重合を調節して、神経細胞の移動を促進します。したがって、これらの遺伝子の機能が低下すると、神経細胞の移動が中途で停止してしまうのです。
LIS1遺伝子は17番染色体上にあります。この遺伝子の欠失による滑脳症は男女両性に見られます。特徴的顔貌をともなう場合はミラー・ディーカー症候群と呼ばれます。顔面の症状は17番染色体でLIS1に隣接する別の遺伝子の欠失に起因すると考えられます。
ダブルコーチン遺伝子はX染色体上にあります。この遺伝子の変異によるX連鎖滑脳症患者は、ほとんどが男性(ヘミ接合体)です。女性患者(ヘテロ接合体)は正常に移動する神経細胞と中途で停止する神経細胞の両者を有するため、皮質下帯状ヘテロトピアという、より軽症の発生異常になります(図11)。
- 予防
胎児超音波・MRI検査により出生前診断できる例があります。
- 治療
個々の症状に即した対症療法が行われます。
第5章 多小脳回 ─福山型先天性筋ジストロフィーと先天性サイトメガロウイルス感染症─
- 病気のかたち
大脳の表面に、正常より多数の細かい脳回・脳溝が見られる状態を多小脳回と呼びます。断面を見ると灰白質・白質の境界に細かい凹凸があって、大脳表面に平行でないことがわかります。
多小脳回はさまざまな疾患で見られる脳の形態異常です。びまん性(大脳全体にわたる)多小脳回は福山型先天性筋ジストロフィー(図12)や先天性サイトメガロウイルス感染症(図13)などで見られます。
- 症状
大脳の機能不全のため、知的障害、運動障害、てんかんを呈します。
合併する症状は多小脳回の原因(基礎疾患)により異なります。福山型先天性筋ジストロフィーの場合は筋萎縮や筋力低下が必ずあります。先天性サイトメガロウイルス感染症の場合は水頭症、脳内石灰化、脈絡膜網膜炎、感音難聴などをしばしば合併します。
- 原因
多小脳回の原因には遺伝要因と環境要因の両者があります。
福山型先天性筋ジストロフィーはフクチン遺伝子の変異による常染色体劣性遺伝疾患です。日本人に多い病気で、患者の大多数は弥生時代に生じたひとつの突然変異、すなわち共通の祖先に由来する遺伝子変異を有しています。フクチンには蛋白質を糖鎖修飾する機能が推定されていますが、それがどの蛋白質かは判明していません。脳の表面に達した神経細胞が移動を停止するにあたり、このフクチンの機能が必要と推測されます。なぜなら福山型先天性筋ジストロフィー胎児の大脳では神経細胞の一部が脳表のグリア境界膜を突破して、クモ膜下腔に迷入してしまうからです。
先天性サイトメガロウイルス感染症は子宮内で胎児が胎盤を介してサイトメガロウイルスに感染するために生じるもので、環境要因による多小脳回の代表です。脳室層からグリア境界膜に至るさまざまな場所に感染(図13)し、組織を破壊することにより、神経細胞移動障害をもたらします。
- 予防
福山型先天性筋ジストロフィーを出生前診断するための検査として、羊水穿刺で得た細胞の遺伝子解析があります。
先天性サイトメガロウイルス感染症を予防するためのワクチンは、いまだ開発途上です。
- 治療
個々の症状に即した対症療法が行われます。
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